新人公演『星逢一夜』

 初ヒロインの泉@みちるちゃんと、2番手源太@ひとこには、同じ感想を持った。

 ふつうにうまい。
 そして、本役まんまの芝居。

 ただ役者の顔だけスライドしたみたい。役割がそのまんま。
 ……同じ役なんだから、芝居が同じであたりまえだろう、ということではなくて。同じ役でも演者が違えばまったく同じ芝居にはならない、だって機械ではなく人間だから。

 新公では「本役のコピー」芝居をしていることが、よくある。声色や言い回しをまったくそのまま写し取って芝居しているの。
 模倣は勉強の基本だから、本役さんを真似るのはかまわない。観る側からすると面白いものではないにしろ、それはそれでアリだと思う。
 ただ。
 みちるちゃんもひとこくんも、「本役のコピー」とは、チガウと思ったの。


 本役を模倣しても、演じるのが別人であるからこそ「コピー」だとわかる。
 個性とは別のところで、別のモノを写し取って表現しているわけだから。

 コピーじゃないのに、同じ芝居。
 別人が演じていることはわかるのに、表現されるニュアンスがそのまま。

 すでにあるモノを写し取ったのではなく、1から「泉」「源太」という役を創り上げたら、やっぱり本役と同じ芝居になった、という感じ。

 新人公演用の芝居ではなく、このメンバーのための芝居ではなく、本公演と同じ芝居なの。

 作品と役はすでに「こう」と決められていて、あとは誰が演じても「こう」にしかならない、してはいけない……そんな、感じ。

 みちるちゃんである意味、ひとこである意味が、この役とこの新人公演にあったのだろうか……?

 特にみちるちゃんは、初ヒロインという重責ゆえか、ほんとうに「作品に必要な役目」だけでそこにいる気がした。
 かわいいしうまいし、なんの破綻もないのだけど、コピーですらなく「ヒロインの役割」だけを忠実に表現する姿に、なんとも息苦しさを感じた。
 新公ってなんなんだろう。
 そんな、「今ソレ考えてどうする?」的な疑問を持ったわ。


 ひとこの源太に対する感想は、みちるちゃんと同じなんだけど、だいもんのせいでちょっとチガウ。

 新公源太を観て、そうそう、初日の源太はこんなだった! と、膝を打った。

 本公演の源太が初日付近と別人で、観て混乱して、整理つかなくてぐるぐるしているところに、すこーんと「初日の源太」を差し出された。
 「いい人」で「やさしくてかっこいい」、みんなの大好きな源太だ!!

 子役時代の「なんじゃこりゃーー!」は空気を読んでの発言になっていたけれど、それ以外は初日付近の源太まんま。
 おそらく、作者のイメージする、脚本にあるまんまの源太像だ。
 みちるちゃんと同じ、誰がやっても「こう」なるんだ、というそのまんまの芝居。

 それを観てますます、本公演に疑問を募らせた(笑)。今のだいもん源太、絶対脚本からはずれてる……。
 初日に創り上げてきたモノ、そして作者自身が演出している新公で創り上げてきたモノがまったくのイコールであった場合、作者はかなり強い意志を持って初日の源太をイメージしているんだろうに。

 初日の源太はかっこよかった、本来なら彼がヒーロー、ちぎくんの晴興は敵役……そう思える作りだった。この物語は、敵役をあえて主役にして、その苦悩と哀しみを描いたのだなと。
 なのに今の源太は、彼こそがアンチヒーロー、ヒーローに敵対する役になってしまっている。
 わたしはその方が好みだし、面白いと思っているけれど、作者の意図とはチガウのではないか……そう、思う。

 ひとこくんの芝居に、「模範解答」を見せられた気がした。

 正しいのはコレですよ。
 本公演は、間違いです。

 …………正解が初日や新公だとしても、今の『星逢一夜』を知ってしまった身としては、もう戻れないな。
 今の、源太が間違っている『星逢一夜』の方が、ずっと面白い。

 この作品は晴興の一人称小説で、それ以外のキャラクタはほとんど描かれていない。その内面にまで言及されていない。
 世界に晴興しかいないことで、とてもまとまった作品になっていた。登場人物が多いとそれだけまとめるのが大変になるんだ。少なければ少ないほど、完成度は上がる。
 なのに、ほとんど書き込みされていない脇役の源太が、むくりと起き上がった。平面に描かれた絵に過ぎなかったのに、実体化した。
 それゆえに作者が机上で展開していた「よくまとまった」物語からは、逸脱した。
 初日に差し出されたキャラクタとも物語とも別モノだが、ほつれは大きくなったかもしれないが、こちらの方が、面白い。
 
 その差を、見せてもらった。
 もう一度、初日まんまの源太、作者が求める源太の役割を、新公で見せてもらえて。


 みちるちゃんもひとこくんも、うまい人たちだと思う。
 新公学年で、ここまで「役割」を果たせるのだから。

 ただ、今回は彼ら個々の実力や魅力についは、よくわからない。
 これまでに露出の多いひとこはともかく、みちるちゃんは、この泉役だけでは、どんな子なのかわたしにはわからない。
 ある程度のスキルのある子なら誰でも同じ「泉」という型にはめられてしまったのではないかと思う。
 みちるちゃんだから、ではなく。
 そしてわたしが見たかったのは、「泉」という型が「誰がやっても同じ」なくらい「完璧に構築された役割であること」はなく、「みちるちゃん」自身だった。

 ので、今後に期待。

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