隠しているのは痛みだけなのか。@星逢一夜
2015年8月15日 タカラヅカ 『星逢一夜』、晴興さんを考える。その3。
すっかり変わってしまった晴興@ちぎ。やさしく天真爛漫な若者だったのに、今ではすっかり冷酷老中様。
晴興を盾にして、自分は被弾を免れ涼しい顔をしている吉宗@エマさんにも「はぁ?」と思うけど。
最大の謎は、晴興。
晴興は、ナニがしたいの?
どんな犠牲を出しても、未来のために改革を推し進めなければならない。
これが、現在の晴興のスタンスのはず。それゆえ、自分が憎まれ役を引き受けている。
が。
……えーとそれ、本気で言ってる?
星逢祭りでの晴興は、江戸での仕事は自分の意志である、自分がやりたいのだと、瞳をキラキラさせて語っていた。
彼が想像していたものと違い、実際にはとてもつらい、残酷な仕事であったとしても……「自らやりたい」と語っていたあの姿からは、違和感が強すぎる。
信念を持って犠牲を払っている、ように見えないんだわ……。
伝わるのは、「やらされてる感」。
運命に流され、嫌々従っている。
冷酷な政治家に変貌していた、というのが、「良い国を作るために、あえてそうしている」のではなく、「嫌なことから身を守るために、消去法でそうなった」ように見える。
わたしには。
えー、わたし以外の人には「晴興は心底冷酷、人間の心を持たない鬼に見える!」のかもしれない。
強い意志で、「逆らう者は皆殺しだ」とさらりと言ってのけている、ように見えているのかもしれない。
神の名のもとにどんな暴挙も正義とする狂信者のように、「未来の日本」のために弱者を斬り捨てることを、なんの迷いもなく「正義!」と信じている、ように見えるのかもしれない。
でもわたしには、そうは見えない。
本心では「こんなことやりたくない」「誰も傷つけたくない、殺したくない」と思っている、ように見える。
本当はやさしいのに、今は鬼のように振る舞うしかなくて、あえて無表情に冷酷な命令をしているように見える。
だからこれは、わたしの目に映る晴興についての疑問。
彼は、ちっとも冷酷に見えない。
冷酷にならなくては、という、使命感ばかり見える。
迷いが見える。
たしかに無表情だけど。冷酷なことを口にしているけれど。
貴姫が言う通り、「表になにも表さず、痛みを隠している」顔に見える。
それが貴姫にだけ見えるならいいけど、大名たちの前でも、「痛みを隠している」顔に見えて、それってつまり、痛みを隠せていないってこと。
能動的な冷酷さが、どこにもないの。
晴興ならば、それが正しいと思うなら、冷酷な仮面だって能動的に身にまとったろうに。
舞台上の人々には「完全な冷酷さ」に見えているんだ、ただ客席のみなさんには、晴興が「本当は冷酷じゃないよ、いい人だよ」とわからせるようにしているんだ、ってこと?
ファントムの素顔が「え、ぜんぜん醜くないですけど?」なのに、舞台上では悲鳴をあげて逃げ出すような醜さである、ようもので?
だとしたら、そのことも説明してくれなきゃだわ。
今までは「舞台上の人々と、観客の見ているものは同じ」だったんだもん、ここで突然「別になりました」と教えてくれないと、わかんないよ。
そんな無茶振りせず、対外的な冷酷な顔、と、本心の迷い悩んでいる顔、を書き分ければ済むことじゃん。
書き分けしないことも、わざと?
どっちつかずに「悩んでます」「つらいです」と丸わかりにして、「あんなに苦しそうなのに、みんなから悪者にされて可哀想」って思わせたいのか。
ここで晴興をとことん「可哀想」としたい、作者の意図は、わかる。
民衆を虐げる権力者と、悪政に立ち向かう民衆だと、物語では通常、虐げる権力者側が悪とされるからだ。
あえて悪側、そうせざるを得なかった者の悲劇を描きたいのだから、晴興は「可哀想」でなくてはならない。
悪がるんるん楽ちん♪で悪だと、観客の共感を得られないものね。
でも、「可哀想」にするために、吉宗は人格変わってるし、晴興も別人になってるし、……てのは、なんなん?
晴興がここまで変わるには、泉@みゆちゃんとの別れぐらいじゃ無理なのよ。
晴興が精神的ニートになっちゃってるのは、何故か。
その説明がないの。
泉との別れが原因であるかのように描いて、誤魔化して、肝心な部分はスルーされてるの。
泉との別れが原因なら、晴興は少年時代に江戸へ行ってからも泉のことは片時も忘れず、大人になって最初に三日月藩へ帰るときも「泉に会える!」とワクテカしてなきゃおかしいわ。
人生の目的=泉との恋、でないと、それを失ったから心を閉ざしました、はおかしい。
イコールではないことを、さもそうであるかのように誤魔化してあるのが、気持ち悪い。
時間がなくて描けなかった、とか、それをやると主題がズレる、とか、いろいろ事情はあるんだろうけど。
この描き方はやだな。
好みじゃない。
わたしの好みは関係ないだろうけど、ここはわたしの好みを語る場なので、好みで語る(笑)。
すっかり変わってしまった晴興@ちぎ。やさしく天真爛漫な若者だったのに、今ではすっかり冷酷老中様。
晴興を盾にして、自分は被弾を免れ涼しい顔をしている吉宗@エマさんにも「はぁ?」と思うけど。
最大の謎は、晴興。
晴興は、ナニがしたいの?
どんな犠牲を出しても、未来のために改革を推し進めなければならない。
これが、現在の晴興のスタンスのはず。それゆえ、自分が憎まれ役を引き受けている。
が。
……えーとそれ、本気で言ってる?
星逢祭りでの晴興は、江戸での仕事は自分の意志である、自分がやりたいのだと、瞳をキラキラさせて語っていた。
彼が想像していたものと違い、実際にはとてもつらい、残酷な仕事であったとしても……「自らやりたい」と語っていたあの姿からは、違和感が強すぎる。
信念を持って犠牲を払っている、ように見えないんだわ……。
伝わるのは、「やらされてる感」。
運命に流され、嫌々従っている。
冷酷な政治家に変貌していた、というのが、「良い国を作るために、あえてそうしている」のではなく、「嫌なことから身を守るために、消去法でそうなった」ように見える。
わたしには。
えー、わたし以外の人には「晴興は心底冷酷、人間の心を持たない鬼に見える!」のかもしれない。
強い意志で、「逆らう者は皆殺しだ」とさらりと言ってのけている、ように見えているのかもしれない。
神の名のもとにどんな暴挙も正義とする狂信者のように、「未来の日本」のために弱者を斬り捨てることを、なんの迷いもなく「正義!」と信じている、ように見えるのかもしれない。
でもわたしには、そうは見えない。
本心では「こんなことやりたくない」「誰も傷つけたくない、殺したくない」と思っている、ように見える。
本当はやさしいのに、今は鬼のように振る舞うしかなくて、あえて無表情に冷酷な命令をしているように見える。
だからこれは、わたしの目に映る晴興についての疑問。
彼は、ちっとも冷酷に見えない。
冷酷にならなくては、という、使命感ばかり見える。
迷いが見える。
たしかに無表情だけど。冷酷なことを口にしているけれど。
貴姫が言う通り、「表になにも表さず、痛みを隠している」顔に見える。
それが貴姫にだけ見えるならいいけど、大名たちの前でも、「痛みを隠している」顔に見えて、それってつまり、痛みを隠せていないってこと。
能動的な冷酷さが、どこにもないの。
晴興ならば、それが正しいと思うなら、冷酷な仮面だって能動的に身にまとったろうに。
舞台上の人々には「完全な冷酷さ」に見えているんだ、ただ客席のみなさんには、晴興が「本当は冷酷じゃないよ、いい人だよ」とわからせるようにしているんだ、ってこと?
ファントムの素顔が「え、ぜんぜん醜くないですけど?」なのに、舞台上では悲鳴をあげて逃げ出すような醜さである、ようもので?
だとしたら、そのことも説明してくれなきゃだわ。
今までは「舞台上の人々と、観客の見ているものは同じ」だったんだもん、ここで突然「別になりました」と教えてくれないと、わかんないよ。
そんな無茶振りせず、対外的な冷酷な顔、と、本心の迷い悩んでいる顔、を書き分ければ済むことじゃん。
書き分けしないことも、わざと?
どっちつかずに「悩んでます」「つらいです」と丸わかりにして、「あんなに苦しそうなのに、みんなから悪者にされて可哀想」って思わせたいのか。
ここで晴興をとことん「可哀想」としたい、作者の意図は、わかる。
民衆を虐げる権力者と、悪政に立ち向かう民衆だと、物語では通常、虐げる権力者側が悪とされるからだ。
あえて悪側、そうせざるを得なかった者の悲劇を描きたいのだから、晴興は「可哀想」でなくてはならない。
悪がるんるん楽ちん♪で悪だと、観客の共感を得られないものね。
でも、「可哀想」にするために、吉宗は人格変わってるし、晴興も別人になってるし、……てのは、なんなん?
晴興がここまで変わるには、泉@みゆちゃんとの別れぐらいじゃ無理なのよ。
晴興が精神的ニートになっちゃってるのは、何故か。
その説明がないの。
泉との別れが原因であるかのように描いて、誤魔化して、肝心な部分はスルーされてるの。
泉との別れが原因なら、晴興は少年時代に江戸へ行ってからも泉のことは片時も忘れず、大人になって最初に三日月藩へ帰るときも「泉に会える!」とワクテカしてなきゃおかしいわ。
人生の目的=泉との恋、でないと、それを失ったから心を閉ざしました、はおかしい。
イコールではないことを、さもそうであるかのように誤魔化してあるのが、気持ち悪い。
時間がなくて描けなかった、とか、それをやると主題がズレる、とか、いろいろ事情はあるんだろうけど。
この描き方はやだな。
好みじゃない。
わたしの好みは関係ないだろうけど、ここはわたしの好みを語る場なので、好みで語る(笑)。